【下田】幕末歴史ファン必見→大興奮!【吉田松陰先生の隠れ家】

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「吉田松陰」って誰?

「黒船に乗り込もうとして失敗した」
くらいはご存知かと思います。

では、どこで? 浦賀ではありません。

ここ、下田です!!!

さらっと動画でおさらい!

隠れ家の主人との出会い

1854年3月18日。
吉田松陰と弟子の金子重輔は、
2度目の来航となるペリー艦隊の船に密航するため下田に到着。
市内の「岡村屋」に投宿します。

疥癬(ダニが原因の皮膚感染症。相当かゆい)
を患っている松陰にこの宿のご主人が、
皮膚病治癒に効能のある「蓮台寺温泉」を薦めました。

松蔭はこの村民浴場に人のいない夜、
入浴していました。
そこで松陰に声をかけたのが、
この隠れ家の主人「村山行馬郎医師」でした。

村山医師と出会った公衆浴場

現在も周辺住民が共同で維持管理している浴場です。
観光客は入浴できません。

平屋【村山邸】築200年!

村山医師は松陰の疥癬の治療をしながら
色々と話しを聞き出したのでしょう。
長州の出身であること、
密航を企てていることを聞き、
松陰と金子を屋敷の二階に匿いました。

実は二階があった

当時は豊かな木々に阻まれて、
外から二階は見えなかったそうです。

二階への階段は取り外し式

引き戸を閉めて階段を外せば、
下からは「天井」にしか見えません

松陰隠れの間

ここが二階、およそ8帖の「松陰隠れの間」。

昼はここで書をしたため、
夜になると密航の機会を伺いに柿崎村へと出かけて行きました。

ここで2時間半過ごした女性がいたそうです。

係の方もてっきり帰ったと思っていたら、
突然上から降りてきてびっくりしたそうです。

松陰先生と心を通じ合わせていたのでしょうか。


この畳の上に正座して目を閉じると、

「知らない世界に飛び込みなさい」

と、松陰先生が語り掛けてくるのを感じました。

「投夷書(とういしょ)」(=嘆願書)

踏海(渡航)への手回し!
この部屋でしたためた、
ペリー提督への投夷書(とういしょ)

我々2名は世界を見たいと望む者です。どうぞ、貴船に我々を乗せて下さい。
外国への渡航は、然しながら、日本で固く禁じられている行為です。
もし、あなた方が日本の役人に連絡したならば、我々にとって深刻な問題となるでしょう。
貴提督方に我々の望むところをお許し頂けるのであれば、明日の夜遅く、柿崎村の浜に伝馬船を1艘送ってお迎え下さい。
1854年4月19日
市木公太
瓜中萬二

出典 http://www.tomoland.net

市木公太 (金子重輔の偽名)
瓜中萬二 (吉田松陰の偽名)

松陰と金子は柿崎村で密航の機会を伺います。

村山医師の隠れ家で書いた「投夷書」を、
たまたまそこを歩いていた水兵に託し、
ペリー提督からの迎えの船を待ちました。

しかし、
待てど暮らせど迎えは来るはずもなく、
いよいよ2人は盗んだ小舟で漕ぎ出しました!

松陰と金子は一番近くに停泊していた
ミシシッピー号に辿り着いたものの、
「通訳は旗船ポーハタン号にいる」
と追いやられてしまいます。

二人は再度小舟を漕いでポーハタン号へと向かいます。

旗船に着いたら甲板から「帰れ、帰れ」と
棒で小突き回されますが、
ここで簡単に諦める訳にはいかない。

やむなく旗船へと無理やり飛び移りました。

その反動で大事なものを乗せた
盗んだ小舟は流されてしまいました。

二人は旗艦で「連れて行ってくれ」と懇願しましたが、
米国側としては
日米和親条約締結の直後で問題を起こしたくなかったし、
松陰が皮膚病だったので乗せたくなかったのです。

結局乗船は許されず、
二人はボートで福浦まで送り返されてしまいました。

2人が旗船ポーハタン号へ飛び移った時、
大事なものを乗せた小舟が流されてしまいました。

小舟にはこんなものが乗っていたのです。

1つ、着替え(「名前入り」と推測)
1つ、松陰の長刀、金子の長刀と短刀
1つ、師匠の佐久間象山が松陰へ贈った【送別の唄】

福浦に放り出された2人は、
夜通し小舟を探しますが見つかりません。

「あの小舟が見つかれば、師匠に迷惑がかかる」
その思いで、下田奉行所に自首したのです。

「踏海(とうかい)」は死罪。
それを企てたのですから重罪は免れません。
しかし二人は「蟄居(ちっきょ)」、
自宅軟禁という軽罰を与えられました。

「日本の厳重な法律を破り、知識を得るために命を賭けた二人の教養ある日本人の烈しい知識欲を示すもので、
興味深いことである。日本人の志向がこのようなものであるとすれば、この興味ある国の前途は何と実のあるもの
であるか、その前途は何と有望であることか。(中略)哀れな二人の運命がその後どうなったかはまったく確かめることが
できなかったが、当局が寛大であり、二人の首をはねるというような極刑を与えないことを望む。なぜなら、それは
過激にして残忍な日本の法律によれば大きな罪であっても、我々にとってはただ自由にして大いに讃えるべき
好奇心の発露にすぎないように見えるからである」

出典 http://www.yoshida-shoin.com

上記は、
松陰と金子が拘禁されているのを知った
ペリー提督の口添え文書です。

「極刑に処さないように。
なぜならば、
この若者たちは日本国発展の礎になるべく
人物であるからである。」

それから、
閉鎖的な日本国への皮肉がたっぷり込められています。

ペリー提督は松陰と金子とは会ってはいませんが、
事の顛末は知っていました。

松陰が柿崎村で水兵に託した「投夷書」が、
ちゃんとペリー提督に届いていたからです。 
この「投夷書」は、
現在イエール大学が保管しています。

下田公園「ペリー上陸の碑」

ここの最大の魅力は【松陰博士】

ここ、吉田松陰寓寄処には、
松陰が使った机、硯、茶碗類が
大切に保管されています。

松陰と下田の関わり、
下田から萩へと移った松陰のその後、
松陰が残した沢山の唄など、
「松陰博士」と呼びたいくらいの係さんが
丁寧に説明をしてくださいます。

それがここの大きな魅力です!

多くのお客様がほろっと涙をこぼすという、
松陰最期の唄を
愛情たっぷりに詠んでくださいました。

前知識が無くても、楽しめて、興奮して、
感動してしまうのです!

いかがでしたか?

吉田松陰を詳しく知っている人も
全然知らない人も、
是非、吉田松陰寓寄処へお出かけください。

きっと下田にある「松陰スポット」へ
次々と出かけてみたくなるでしょう!

【吉田松陰寓寄処】へは
石廊館から車で約20分です

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