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【河津】四十八手の考案者「手玉にとった」力石【河津八幡神社】

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【河津】四十八手の考案者「手玉にとった」力石【河津八幡神社】
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相撲の決まり手「河津掛け」


相撲ファンの方は「河津掛け」という決まり手をご存知ですね。
しかし、年に数回みられるかどうかという、大相撲の世界でも
滅多に見られない、とても珍しい技なのです。

因みに、柔道では禁止技となっています。
高速でかけられると膝が故障する恐れがあるうえ、
道着が引っかかるととても危険だからだそうです。

貴ノ浪が曙にかけた「河津がけ」

「河津掛け」の考案者

「河津」というと、今や世界的に有名な「河津桜」ですが、
その発祥の地「河津」です。


「河津掛け」の考案者は「祐泰(すけやす)」といい、
伊東を収めていた豪族・祐親(すけちか)の嫡男です。

父から河津を受け継ぎ、「河津三郎祐泰」と名乗りました。
時代は平安時代末期です。

伊豆巻狩りの際、源頼朝公の御前で執り行われた相撲で、
関東きっての力自慢・俣野五郎を「河津掛け」で破りました。

俣野は負けて憤然となり、再度手合わせを挑んできましたが、
三度の対戦でも俣野は祐泰に勝てず、立ち上がることすら
できませんでした。

「武将の巻狩り」とは、現代で言うところの「軍事演習」。
各豪族の武力の見せ所でもあります。

猟れた鳥や獣を肴に大宴会をし、その座興に相撲が行われました。

祐泰が鍛錬に使ったのは300kgの力石!

祐泰(すけやす)殺害

関係がとてもややこしいので、簡潔にまとめます。

祐泰の父・祐親(すけちか)と血の繋がらない従兄弟・祐経は
伊東を巡る所領争いをしていました。

伊東奥野で頼朝一行と巻狩りを楽しんでいた祐親を、
祐経から祐親暗殺の命をうけた射手が赤沢山で待ち伏せます。

射手が放った矢は祐親ではなく、嫡男・祐泰に当たってしまいます。
矢は祐泰の胸深く突き刺さり、落馬。

「妻子を頼む」の一言を残して息を引き取りました。

河津三郎祐泰の血塚(伊東市八幡野:落命場所)

曽我兄弟の仇討ち


父・祐泰が討たれた時、一万は五才、箱王は三才。
母・万江は幼い兄弟の保身のため、また望まれて
相模の曽我太郎祐信と再婚しました。

祐経は祐親一族を伊豆から駆逐しましたが、遺児の仇討を恐れ、
幼い兄弟を由比ガ浜に引出し、斬首しようとしました。

将軍の家臣・畠山重忠らは幼な子の処刑を止めるよう諫め、
二人の遺児は寸での所で命を永らえました。

幼い曽我兄弟の像(小田原市・城前寺)

隣は忠僕、鬼王丸と丹三郎兄弟の墓

二度と帰らぬ曽我の里を後に

元服を済ませると、兄は「十郎祐成」、弟は「五郎時宗」と名乗り、
立派な若武者に成長します。

工藤祐経の姿を追いかけて仇討ちの鍛錬をしてきた兄弟は
遂に富士裾野の巻狩りが機会と捉え、忠僕二人を連れて出立します。

音止めの滝(富士宮市)

曽我兄弟が仇討の途中立ち寄り、ここで詳細を相談しました。
傍らの滝はゴウゴウと音が高く、滝壺に水煙を立たせるので
兄弟はお互いを聞き取る事ができません。

兄弟は「南無河津八幡」を一心に祈ると、轟音を立てていた滝が
「この兄弟を哀れみしばし音を止めた」と伝えられています。



曽我の養父、実母、恋人に、春秋の礼を述べた覚悟の書状を、
生まれたときから世話をしてくれた忠僕2人に持たせました。

「せめて御最期をお見届け致します」と言う忠僕には
兄弟は貧しく何も与えるものがなかったため、
もう必要の無くなった唐笠を与え、涙ながらに別れたのでした。

仇討のとき

「戦いになれば互いに離れ離れになるかも知れない。

 重ね重ね最期の時は父の名を汚さない様、覚悟しよう。」

そう誓い、兄弟は降りしきる五月雨の中、陣屋に入っていきます。


陣屋は数万の軍勢の狩り宿ですから、目的の場所が見つかりません。
雨に濡れて通る二人を見咎めたのは、見廻り中の畠山重忠でした。

幼い兄弟を斬首の刑から救ってくれた家臣の一人です。

畠山は居合わせた仁田四郎に兄弟を任せ去って行きます。
変わらぬ温情に兄弟は思わず手を合わせるのでした。



「狼藉者、この夜更けに狩り宿を彷徨うとは不埒千万。
ここから坂を上って工藤祐経殿の宿である。
無礼無き様、早々に立ち去られよ。」

仁田四郎はそう言うと、兄弟に松明を持たせてくれました。
二人はその温情に涙を流し、雨の中無言で謝礼を述べ
ようやく仇敵・祐経の狩り宿へと辿り着くことができました。

「我等は汝のために非業の最期を遂げた、

 河津三郎祐泰が一子、河津三郎祐成!」

「同じく五郎時宗、今こそ積年の父の仇を打たんがため推参!」



「尋常の勝負!」

祐経が刀を抜き合わせるのを待って、兄のなぎなたが一閃。
これをかわされたものの、弟の強刀が頭上に叩きつけられました。



倒れた祐経の首を掻き切り、宿の縁側に丁重に据え、

「積年の父の仇、祐経の首、只今申し受けたり。

 心ある者あらば、我等を討って手柄にせよ」


と呼ばわりましたが、誰も出てきません。
仁田四郎らの情けある計らいであったのです。

しばらくすると、この騒ぎに各陣屋の武者達が繰り出してきました。

「左殿(将軍)が幕内なるぞ」
と叫び躍り出たのは、情けの仁田四郎でありました。

「いざ、この首討ち取って手柄にされよ」
兄は仁田四郎との激闘の後、討ち死にしました。

仁田四郎は兄・十郎のなぎなたには到底及ぶところではない。
道着を脱ぎ捨て、わざと切られた誠義に厚い武士である。
と、仁田四郎は褒め称えました。



「我は川津三郎が忘れ形見、五郎時宗なり!」
と呼ばわりながら弟は将軍本陣まで駆け抜けましたが、
一瞬の隙に大男に捕らえられ、将軍頼朝公の御前に引き出されます。

堂々と仇討の経緯を述べた後、斬首されました。

二十二才と二十才、兄弟は本懐を遂げ富士の夏露と消えたのでした。

鎌倉武士たちは、信義に厚い武勇優れた武士としてこの兄弟を讃え、
後に「曽我物語」として後世に伝わる事となります。

河津八幡神社

河津三郎祐泰をお祀りしている神社は河津町にあります。

境内の左は父・祐泰、右は曽我兄弟の像


いかがでしたか?

大相撲四十八手「河津掛け」と、「曽我物語」の発端となった
【河津八幡神社】へ、是非おでかけくださいね~。

【河津八幡神社】へは【海辺のお宿 いそかぜ】から車で約15分です


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