【下田】幕末、金が大量に流出した原因とそのカラクリとは?【MoBS】

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【下田】幕末、金が大量に流出した原因とそのカラクリとは?【MoBS】
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日米和親条約締結によって下田が開港

1954年3月、ペリー提督の黒船が来航。
日本はいよいよ開国へ。

即時下田が開港され、黒船船団は下田へ向かいます。

開国についてはこちらをどうぞ↓



伊豆急行「黒船電車」

車内で開国の歴史が学べます

日本初の通貨の交換レート

1854年6月、
下田の了仙寺にて日本とアメリカの
通貨の交換レートが決められました。

当時、貿易に使われたのは主にメキシコ銀貨。
スペイン領だったメキシコで製造されたものです。

メキシコ銀貨
=重量26.7g、品位86.5%、含有純銀量23.1g

日本銀貨  
=重量 8.6g、品位99.0%、含有純銀量 8.6g

ドル(メキシコ銀)1枚 
= 一分銀(日本銀)1枚と定められました

双方見比べると、銀の含有量に大きな差があり、
日本銀の有利となるレートです。

その頃の日本では、
一分銀で約23gの銀のかたまりが買えました。
メキシコ銀は23.1gの銀のかたまりですから
一分銀の価値であるとみなされました。

米国の主張

1856年、
初代総領事館が設けられた下田の玉泉寺において
米国総領事のハリスとの協議が行われました。

ハリスの主張はグラムベース。

100ドル2,673g = 一分銀311枚に相当
ですから、
1ドル = 一分銀 × 3枚

強引にハリスに押し切られ、
このレートを承諾してしまいます。

欧州との金の価値のちがい

その頃のヨーロッパ。
新大陸で銀山が発見されたことにより、
大量の銀がヨーロッパに流入、
その価値が暴落していました。

日本の金銀の比価が1:5に対し、
欧米では1:15でした。

金貨の大量流出

日本と欧米での金銀比価は3倍もの差があり、
ここに目をつけた外国商人は普通の商売より
日本で金を買って
外国で売った方が利益になると考えました。

ハリスもこのトレードで私財を増やしました。

大量の金が流出したカラクリ

①外国から洋銀4枚もってくる

②洋銀4枚を1分銀に両替する

洋銀1枚=1分銀3枚なので、合計12枚

③1分銀12枚で天保小判3枚を買う

(1分銀4枚=天保小判1枚)

④天保小判3枚を外国で売る

 外国では金の価値が日本の3倍ですから、
 小判1枚が洋銀4枚になります。
 小判3枚×洋銀4= 洋銀12枚

このカラクリで
最初4枚だった銀貨が12枚に増えましたね。

①から④を大量に繰り返され、
現在の価値に換算して約300億円の金貨が
流出したと言われています。

金銀比価の調整(万延の改鋳)

1860年、
金貨の流出を収束させるため、
貨幣改鋳が行われました。

小判の重さを1/3にし、
日本の金銀比価値も1:15になりました。

日本最後の万延小判の重さは3.3g。
今までの小判よりだいぶ小さくなりました。

ちなみに、現在オークションでは
万延小判は5~8万円で取引されています。
天保小判は20万円~です。

その後、金貨が今までの1/3になったことで
国内はインフレを起こし、
「外国人のせいで物価が高くなった」
と外国人を襲撃し追い出そうとする
攘夷運動が激化してゆきます。

いかがでしたか?
開国の歴史については、了仙寺に隣接する
【MoBS黒船ミュージアム】で詳しく学べます。

了仙寺は
日米和親条約付属下田条約が締結された場所です。
是非お出かけくださいね~。


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↓↓↓ペリー提督の開国!



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